会長・副会長挨拶
創設25周年を迎える年に
日本教育工学会 第6代会長 永野和男(聖心女子大学教授)
2009年7月
今回の役員改選の選挙によって,第6代日本教育工学会の会長に選ばれました.大変名誉なことと感謝するとともに,先人の会長のように,さまざまな問題に的確に対処できるかと,自分の能力と適性に不安を感じております.皆さまのご協力をよろしくお願いします.
日本教育工学会は,1984年11月に学会を設立しましたので,この秋に創立25周年を迎えることになります.わが国における教育工学の学問としての成立は,さらにその前(1967から1976年までの)9年間の科研プロジェクト「科学教育および教育工学」の実績の礎に支えられてのことでした(その成果は『教育工学の新しい展開』(第一法規)にまとめられた).当時から関わっていた者として,懐かしく思い出すとともに,まだ行き先もはっきりしていなかった「教育工学」という学問領域が,会員数2500名を超える学会に成長してきたことを嬉しく思っています.
さて,教育工学(Educational Technology)をどのような学問としてとらえるかということについては,これまでも機会があるたびに議論されてきました.教育(人と人がかかわり,教え・学びが生じるあらゆる対象)と,工学という問題解決のための方法論とを組み合わせた用語であり,あらゆる組み合わせによる解釈が成立するからです.工学(engineering)は,「ものを大量に作り出すための方法に関する学問」と辞典(大辞林)の第一項目に出てきますが,工学(technology)は,もうすこし広い意味をもっています.
私は,工学を広くとらえ「教育における問題解決のための意思決定を支援する 1)基礎的知見 2)道具の提供 3)技術の提供 4)方法の提供 5)あるいは問題の発掘や解決過程の解明を体系的に提供する学問」と考えています.この考え方にたてば,教育工学とは,人と人がかかわり,教え・学びが生じるあらゆる場面の中で生じる問題に対して,理論と実践を踏まえて問題解決情報を提供する学問ということになります.このためには,研究方法も狭い意味の工学だけでなく,教育学,心理学,社会学,生理学,情報科学,建築学などさまざまな分野からアプローチを取り入れ,協調的に進める必要があります.すなわち,日本教育工学会はひとつの対象領域や方法論をもつ研究者集団ではなく,複数の方法論をお互いに認め合った「研究者の束」ということになります.このとき,これらが,諸分野の研究の単なる寄せ集めではなく,「教育工学」というキーワードでまとまることが重要です.具体的には,研究の方向性や成果が「具体的な問題解決に向かって成果が整理されている」という要件を満たしている必要があるのです.また,解決すべき問題が,学会として共有されていることも重要な要素になります.教育の現代的な問題にも,大きなアンテナを張っておく必要があるでしょう.
15周年を記念して出版された『教育工学事典』(2000,実教出版)では,その対象分野領域を,認知,メディア,コンピュータ利用,データ解析,ネットワーク,授業研究,教師教育,情報教育,インストラクショナルデザイン,そして教育工学一般の10にまとめています.あれから約10年,時代はさらに進み,多様な価値の時代に入ってきました.ICTも誰でもどこでも利用できる個人の道具として普及してきています.一方,教育における(未解決の)現代的問題はますます複雑になっています.学校教育に限って考えても,いじめ,ネット問題,小1プロブレム,凶悪行為,落ちこぼれ,学力低下…,数え上げればきりがありません.しかし多くの場合,要因は複雑であり,社会的・文化的背景に依存しています.場合によっては個人特性にきわめて依存している事例もあります.
したがって,その一部を切り出して実験的にモデル化して知見を得ても,それが現実の問題にうまく適応できないというケースは,いくらでも出てくるでしょう.また,学校現場で現実的に生じている問題は,制度としての学校や学校の環境,地域の特性,教師の力量や特性などの要因を無視することはできず,その部分を配慮した情報の整理が必要になります.単純な実験や調査研究からは問題点は読み取れても,なかなか本質や問題解決の情報は見えてこないのです.
幸い,私たちの仲間には,メディア表現や知識情報処理に詳しい専門家もいます.伝統的な研究方法にのっとり成果をまとめて発表する活動だけでなく,「研究をどのようにまとめれば,他の(同じ問題を抱えた)研究者や実践者に役立つ情報になるのか」という視点から,実践研究やシステム開発の研究成果を,新しい技術を使って蓄積・共有する方法を,学会として整備する時期に来ているようにも思います.
「ひと」に関わる研究分野ですので,短期間に成果を量産できる研究領域ではありません.また,多くの費用をかけたからといって明快な研究成果が出てくるわけではありません.研究には長期的な展望と,ひとと関わる努力が必要な分野です.しかし,それだけに面白く,やりがいのある研究課題がたくさんあります.
教育工学には,時代を先取りし,困難に挑戦しようとする若さと,問題と真摯に向き合い,解決して世の中をよくしようとするエネルギーがあります.これからも,さまざまな領域の研究者の参加と協調によって,ますます発展していくことを願ってやみません.